球根が残ってい
枯れた植物を片付けて土だけになっていた鉢に、他の鉢からガーデンシクラメンを移して半年くらいか。ようやく今年も咲き始めたなぁと思っていた頃、脇からにょきにょきと伸びて来たのはたぶん、アルストロメリア。きっとまだ、球根が残っていたんだろう。「まったくもう、こんないい加減な扱いをされて黙っちゃいられないわ」と言いたげである雪纖瘦。
行き当たりばったりの適当なことをしていると、適当に面白いこともある。
駆け足の一週間が過ぎて、これからはのんびり書けるなぁという気がして来た。なんとはなしにがっかりなこともあるけれど、それ以上にいいことがあった。そういうことに気づくいい機会だったんだと思う雪纖瘦。
特に発信することもないわたしが何をしたいかっていえばやはり、じぶんの読みたいものを書くってことなんだろう。一日の終わりになんとなく聴きたくなる音楽みたいな、べつに大した内容(歌詞)はないし平凡なコード進行だし、恥ずかしくて人に勧めるほどの音楽じゃないけど、なんか心地いいのよね、邪魔にならないのよね……というような。そんな文章を自分で書きたい。そういうことなんだと思う、大袈裟に言えばの話ね。
斉藤孝氏が「書くことは、できごとに意味(価値)を与えること」と書いていたのを久しぶりに思い出した郵輪假期。
でもでも、肩に余計な力を入れるとろくなことにならないからほどほどに。
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